ヘブル人への手紙11章

ヘブル人への手紙11章 信仰による歩み
1.それぞれの信仰(11:1-40)
神が定めてくださった、新しい第二の契約に、積極的に生きていくために最も大事なのは、神を信頼することです。それは、「望んでいることを保証し、目に見えないものを確信させる」と言います。具体的に、どういうことでしょう。ヘブルの著者は、旧約聖書の具体例を挙げながら説明します。
第一に、アベルは信仰によって礼拝したと言います(4節)。礼拝は信仰をもって行う行為です。日曜日になった、どれ、教会にでも行ってくるか、ではありません。今日の説教はよかった、なんか足りなかった、ではありません。望んでいることを保証し、目に見えないものを確信させる信仰をもってささげる行為なのだ、と言います。礼拝の中心に神が覚えられて、神に心傾け、何か、神にかけていくものを心に抱いて出る、これが礼拝です。
第二に、エノクは信仰によって神に喜ばれる生き方をしたと言います(5節)。神を認めずして、神が喜ぶ生き方など出来ないことでしょう。神がおられること、神に求める者には報いてくださる方であることを覚えながら、人生を歩む、これが信仰者です。
第三に、ノアは信仰によって家族を救ったと言います(7節)。家族って何でしょうね。単なる同居人ではないはずです。家族がどうあるか、父親の役割は大きいことでしょう。しかし父親も弱さを持った人間、抱えきれない家族の問題にぶち当たることもあるのではないでしょうか。聖書は、信仰によって家族を救う、それが父親に出来ることだ、と言うのです。
第四に、古代イスラエルの族長たちの歩みは、まさに神を認め、神のみこころに従う歩みであったと言います(8節)。アブラハムの人生は、人間の可能性ではなく、神の可能性にかけて生きる人生でした。そして、彼は、目に見えないものを確信しながら神に従う歩みには、神の助けがあり、やがて豊かな実が結ばれることを、実際に経験していくのです。人間の力を誇る人生もあれば、神の可能性にかける人生もあります。
 第五に、旧約時代の指導者モーセは、信仰によって戦いました(23節)。モーセは、エジプトの王子でしたから、王宮の安楽な生活をむさぼることもできました。しかし、彼は、そのような生活を拒否し、敢えて奴隷として苦しんでいたイスラエルの民と共に生きる道を選んだのです。それは信仰によるものです。信仰は、私たちの目を開き、目先のはかない楽しみを超えた、偉大なビジョンに気づきを与えます。そして確信を持って、進み続ける時に、思わぬ結果を手にさせるのです。
最後に、ラハブ。彼女は、古代イスラエルが初めて約束の地パレスチナに侵入し、エリコの町を攻略する際に、重要な役割を演じた人物ですが、この女性も信仰によって神に応答したとされます(30-31節)ラハブは、遊女で、イスラエルの敵でした。しかし彼女は、イスラエルの神について色々な噂を聞き、「あなた方の神、主は、上は天、下は地において神であられる」(ヨシュア2:11)という信仰を持っていました。神はそのラハブの信仰を評価されたのです。そして神は、イスラエルが約束の地カナンに戻ってきて、やむなく戦争を始めた時に、ラハブを滅ぼすようにはなさいませんでした。本来、戦争が起これば、どうでもよく扱われ、真っ先に殺されるような女性を、神は、その信仰のゆえに、救われたのです。
信仰は、一人一人の人生に、それぞれの意味を与えました。「望んでいることを保証し、目に見えないものを確信させる」信仰を持って人生を生きるなら、あなたの人生も、今までの人生と違うものとなることは間違いありません。

<クイズコーナー>
最初に昨日のクイズです。「聖書で一番最初に神にささげ物を献げた人は、誰でしょうか?」答えは、カインとアベルでした(創世記4:3、4)では、今日の聖書クイズを一つ。遊女ラハブは、イエス・キリストの系図の中では、誰の母として紹介されているでしょうか?答えは、また明日。では今日もよき一日となるように祈ります。

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