ルカの福音書3章

ルカの福音書3章 バプテスマのヨハネ
1.悔い改めを説くヨハネ(3:1-20)
バプテスマのヨハネがユダの荒野で活動を開始したのは、「皇帝ティベリウスの治世の第15年」(1節)つまりAD28-29年です。ヨハネが現れた場所には、当時エッセネ派に属する修道院があったので、ヨハネはその宗派に関係していたと考えられています。実際ヨハネの禁欲主義とバプテスマに関する教えと実践には、エッセネ派のあり方に通じるものがあるからです。ヨハネは、神の国が近づいているので、悔い改めるように、と人々に呼びかけました。「神の国」当時のユダヤ人の多くは、それをローマ帝国から解放され、国の独立を勝ち取ることと考えていました。ですから悔い改めが必要なのは野蛮な異邦人で、自分たちには関係がないとしていました。しかしヨハネは、ユダヤ人にこそ、悔い改めが必要と説きます。それはヨハネが神の国を霊的なもの、神の支配と考えたためでしょう。そんなヨハネの勧めに従って、悔い改める者も起こされ、彼らはバプテスマを受けるのです。バプテスマはきよめの儀式で、当時は、汚れた異邦人の改宗者に授けるものでした。しかしヨハネはこれをユダヤ人に授けます。実際には、水の中に浸す沐浴のような儀式なのですが、一生に一度限りの行為という点で、旧約聖書に定められているきよめの洗いの儀式とは異なります。しかもそれは、8節、悔い改めの実を結ぶ、つまり親切、寛容、正直といった具体的な日々の振る舞いや生活に変化が起こることを期待されるものでした。ただヨハネが授けるバプテスマは、予行練習のようなもので、16節、ヨハネは、自分の後に続いて、聖霊と火の本格的なバプテスマを授けるお方が来られることを語ります。つまりイエスのことです。イエスを神と信じ、バプテスマを受ける者には、神の力がその生涯に注がれるのです。ルカはこの福音書の後に、簡単な初代の教会の歴史「使徒の働き」を記録していますが、それはまさに神の力を受けた人々の歩みを示すものです。
2.イエスのバプテスマ(3:21-22)
21節からは、イエスのバプテスマについての記録です。イエスは、ヨハネからバプテスマを受けることが正しいこと、つまり、神のみこころにかなうことであるとしました。それは、神であるイエスが、ご自分を罪人と位置付けたことを意味します。これから十字架で全ての人の完全な罪の赦しのために身代わりとなるためには、なくてはならない出発点でした。22節、神はそれをよしとされています。
3.イエスの系図(3:23-38)
最後にルカは、イエスの系図に触れています。23節、ユダヤで祭司職が許される年齢は30歳でしたから、イエスもちょうどその年齢にその活動を開始されたと言います。ルカの系図は、先のマタイの系図と違って、アブラハムを超えてアダム、そして神に遡ります。マタイは、ユダヤ人読者を対象に、イエスがダビデ王家の子孫であることを示そうとしましたが、ルカは、イエスが神に起源を発する神に遣わされた、神の子であることをテオフィロに語ろうとするのです。私たちも皆、イエスにつくバプテスマによって「サル」ではなく「神」に起源を持つ者とされます。そして世の闇がいかに深くあろうと、イエスの光に照らされて人生を歩むことができるのです。では今日もよき一日となるように祈ります。

“ルカの福音書3章” への1件の返信

  1. 福井先生

    本日も有難うございます。
    家系について質問があります。

    ヨハネの父ザカリヤは本家本元の祭司、母エリサベツはアロンの子孫。
    つまりヨハネは父系母系ともに生粋の祭司の家系。

    イエスの父ヨセフはダビデの子孫。
    母マリアは親族エリサベツと同様にアロンの子孫。
    つまりイエスは、父系においては王、母系においては祭司の家系。
    ただし、ヨセフは保護者であるが血筋は繋がらない父親であるから、血筋(生物学的繋がり)を重視し過ぎてはならないことに注意が必要。
    血筋によらない霊的イスラエル(教会)が存在していることこそが大切。

    上記のように理解してよろしいでしょうか。

    S.A.

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