箴言27章

27章 身近なものを大事にする

おはようございます。ソロモンの箴言である以上、そこには、自分の家族や、王としての働きから来る洞察があったことでしょう。今日はそんな観点から箴言を読み解くことを教えられました。聖書は、人間の生活に密着したものであり、神に生きることを洞察させるのです。今日も、主の恵みを信頼し、支えられる豊かな一日であるように祈ります。主の平安

1.我を捨てよ

物事が計画通りに進むかどうかは、誰にもわからない。一体誰が、2020年代に新型コロナの問題でこんな事態になると予測しえていたであろうか。2020年代に自分の計画が、全く思わぬ修正を余儀なくされるなど、考えもしなかっただろう(1節)。謙虚になることだ。自分で自分を認めさせるのではなく、時代が自分を押し上げてくれることを待つことだろう(2節)。思い通りにならないことに、強情にならないことだ(3節)。他人がうまくいっているように見えてもねたまないことだ(4節)。ダビデを妬み虐待したサウルのようであってはいけない(1サムエル18:6)。ただ、愛するあまり、人をダメにすることもある(5節)。言うべきことはしっかり言うことだ。愛しているなら、誠実であるべきだ。本当は憎んでいるのに、上辺は愛しているふりをするなんて、敵のすることである(6節)。食事もそうだが、謙虚で、向上心のある、賢い人であれば、どんなことでも吸収して自分のものにする(7節)。

2.知恵深く生きよ

父ダビデが、サウルに追放され、荒野を彷徨ったように(1サムエル26:9)、人には、自分の居場所から引き抜かれて、根無し草となる、脅威の日々を送ることもある(8節)。そんな時に持つべきものは身近な友である(9節)。友を大事にすることだ(10節)。人間の心のつながりは血のつながりを超えるものがある。そして知恵を持って生きることだ(11節)。つまり、やはり良く見通しを立てて生きることだ(12節)。明日のことはわからないものだが、想定しうる危険はあらかじめ避けておくものだ(ルカ14:28)。心にもないことは言わないことだ(14節)。争い好きな女は「がみがみ言う妻」とも解釈される。そのような女は、「長雨の日に滴り続ける雨漏り」つまり憂鬱さに、さらに憂鬱を加える存在である。しかも、その女を制する者は「風を制し、油をつかむことができる」。つまり、制御不可能、そんなものなのだ、と諦めてしまえばよい。本当に、どんな人とつき合っていくかが問題だ(17節)。ちやほやしてくれる人間関係にも進歩はない。互いに論じ合って、切磋琢磨できる関係こそ貴重である。勤勉であることだ(18節)。人柄というのは、その人の言動や生活に現れるものだ(19節)。隠しようがない。人間の目の欲、肉の欲は尽きない(20節)。名誉欲も尽きないものだろう。だが、他人の称賛には批判も含まれている(21節)。サウルは、ダビデのことで試されたではないか(1サムエル18:7)。

一攫千金、成功して富を得ようと、王冠を得ようとそんなものは長く続くものではない(23節)。どこであれ長く土地に住み着き、しっかり働けば、宮廷での華々しい報いや商売の儲けに優る安定がある(25-27節)。地味な生活であっても、それを大事にすることだ。

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