ヨシュア記15章

14章に続き、ユダ族の相続地の境界(15:1-12)と、境界に属する、占領した町々(15:20-62)が記される。南部の荒野から始まり、西、東、北、それぞれの境界が細かに記されるが、広大な地である。12部族の中では、東ヨルダンと西ヨルダンの二カ所を相続したマナセに次ぐ大きさである。占領した町の数も約110以上である。カレブとカレブの協力者であるユダ部族が、主に従い通した結果がそこに表わされているのだろう。

キルヤテ・セフェルを打つ者には、自分の娘を妻とするということばに、カレブの兄弟オテニエルが立ち上がったとされる。そのようにして、カレブのみならず、カレブに協力する者がこれを手にしていったのだろう。

そういう意味では、教会全体が一丸となって、神の約束を信じ、神の約束に立って、教会を建て上げる戦いを一緒に戦い抜いていく心が必要である。牧師だけではなく、信徒も心を一つにして神が与えられた教区を自分たちのものとしていく。そうであればこそ、教会が建てあがって行く。教会の成長は、教会全体の戦いである。

ところで、カレブの娘アクサの物語はなぜ挿入されたのであろうか。オテニエルはカレブの娘をそそのかして、畑を父に求めさせている。これは、古代イスラエルにおいては、妻となる女性が持参金を求める習慣に基づいている。しかし、カレブの娘アクサは、畑地ではなく泉を求めた。畑地は泉に含まれたのであろうが、アクサは欲を出すとしても、本当に必要なものを求めた、ということだろう。そしてこれに対してカレブは、単に求められた泉のみならず、その倍の泉、上の泉と下の泉を与えたのである。主に従い通すことの祝福の大きさを覚えさせられるところではないか。

20節からは、ユダの町のリストになっている。全部で11の地区に分かれている。第一の地区はベエル・シェバを中心とした南部の広い区域で、36の町が含まれる(21-32節)。32節には29の町というが実際にあげられているのは36である。新改訳聖書は覧外注でそのあたりの矛盾を解こうとしているが、結局よくわからない。つまりヘブル語聖書のギリシャ語訳(七十人訳)では、ハツォル(23節)、ハツォル・ハダタ(25節)、へシュモン(27節)、アイン(32節)が欠落し、イテナンとジフ(23、24節)をイテナンジフと読む。またビズヨテヤ(28節)を「それらの村々と農地」と読み替えるので、全部で6つ町が減って30になる。七十人訳で読むと数が大分近いのであるが、いずれにしても、聖書本文が不完全な部分である理解せざるを得ない。

第二地区から第五地区までは低地の町々と村々で、第二地区(33-36節)でも、14の町と言われるが実際には15の町の名があげられている。七十人訳では、ゲデロタイム(36節)が、牧場と訳されて数が調整されているが、新改訳にはその説明がない。第三地区は37-41節、第四地区は42-44節、第五地区は45-47節となる。第六地区(48-51節)からが山地の町々とされ、第七地区(52-54節)、第八地区(55-57節)、第九地区(58-59節)、第十地区(60節)そして最後の第十一地区は荒野(61-62節)となる。

こうして見るとユダ族はかなり戦略的に占領地を見、これを征服していったことが推察される。私たちの宣教は、教会にいかにして引き込むかを考えやすいが、彼らは出て行ってこれを占領することに専心した。宣教は外に出て行く戦いである。それは、協力であると同時に戦略による。神が私たちに協力を得させ、戦略を明らかにしてくださるように祈ろう。

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