詩篇48篇

 

48篇 栄光の神の都

<要約>

おはようございます。神を信じる歩みが続けば、そこには必ず神の恵みの証があるものです。しかし、私たちはそんなことを簡単に忘れやすい。神は何もしてくださっていないと考えることが多いのです。忘れないための工夫が必要です。そのアイディアを込めた歌を今日は味わってみましょう。今日も、主の恵みを信頼し、支えられる豊かな一日であるように祈ります。主の平安

1.背景

この詩篇も、神による解放をたたえる詩篇であると言われる。当時、エルサレムは、現在のエルサレムよりも小さく、モリアの山の南西にあったとされる。つまり、北の端の高台にあった。「高嶺の麗しさは、全地の喜び。北の端なるシオンの山は大王の都」というのは、そのような光景を歌い上げたのだろう。歴史的な背景としては、ヨシャパテ王の時代、アモン人、モアブ人たちが同盟を組んで、エルサレムを包囲し、攻め立てようとした時のことであろうとされる(2歴代誌20章)。その時敵軍は、その守りの堅固さと、イスラエルとともにいて立ち向かわれる神の故に(4節)、打ち砕かれて敗走するのである(5節)。

タルシシュは、銀、金、鉄、すず、なまりなどの産地または加工地としてよく知られていた。現在のサルジニア、またはスペイン南部のタルテスースとも言われる。詳しい位置はわからないが、タルシシュは海を隔てた地にあり、聖書では、「世界の西の果て」を意味することばとして用いられた。そこで大型の船が建造されて、大規模な商船隊が組まれ「タルシシュの船(団)」と呼ばれるものが、イスラエルと交易していた。ソロモンはこの船団によって大いに富んだ。

2.神は守られる

7節のタルシシュの船は、最強最大の船団を象徴し、神はそれを東風、神の力によって破壊されるという。つまり、海から攻めてきても、神はその脅威から守られる、ということだ。詩人は、エルサレムの都に対して神がなされた業に基づいて、神の守りを確信している。そして11節、ユダの娘が楽しむように、というのは、象徴的な意味合いで、イスラエル南部の町や村を言い、海側からの侵略では真っ先に被害を受けるところなのだが、そのような町々も守られるように、主の御業の故に、ということである。

「シオンを巡り、その回りを歩け、その塔を数えよ。その城壁に心を留めよ。その宮殿を巡り歩け。後の時代に語り伝えるために」と詩人は言う。神が誠実であることの動かぬ証拠に、神の実在と神の働きに対する信仰を明確にせよ、という。

3.神の業を記念せよ

そのような意味では、玉川の会堂も、その証拠なのであろう。開拓30年目にして思うことは、玉川の教会はトイレ共同、お風呂無し、六畳一間にキッチンのついたアパートの一室でスタートした。そこには、中古のパソコンとコピー機があるのみだったが、今や、マンションの1階部分100畳のスペースを購入し、そこを会堂とし、備品類はそれ以上に増え、毎週の礼拝も所狭し、としばしば感じるほどに人が集まるようになった。ミニストリーも、国際ボランティア団体のHFI、医療・福祉関係者のため安らぎの場である育ちの村、超教派の聖書教育機関である二子玉川聖書学院、宮城県七ヶ浜開拓、ネパールバクタプル開拓と、飛躍的に拡大した。入れ替わりの激しい首都圏の教会であるだけに、その最初の状態を知っている人はもはや誰もいない。だから、その歴史を聞かされても、あまりピンと来ないし、どれほど神の業がそこに現わされたのか、理解しがたいこともあるだろう。だが神の業はなされた。

小さな個人的な生活の中にも、神が業をなしてくださったことことは必ずあるはずで、神の業を忘れないように数えるべき塔があり、心を留めるべき城壁、巡り歩くべき宮殿がある。それらのことをしっかりと心に留めて、この神にこそ、私たちは「とこしえに導かれる」のだという信仰を明確に表明する必要があるだろう。スポルジョンは、「小さな信仰があれば私たちの魂は天に導かれる、しかし、偉大な信仰は、天を私たちの心の内にもたらすものである」と語った。揺るぎない魂の安らぎをもたらすのは、大いなる信仰である。信じ経験したことの積み重ねである。

なお、この詩篇もまた、メシヤ詩篇と考えられている。イザヤ14:13では、「北の端」は、天と解釈されており、とこしえに堅く建てられる神の都と、地の果てにまで及ぶ神の栄光が語られる点、これは、終末的な主の勝利とその栄光を語る内容である。キリストにあって、やがて完全な救いと勝利がもたらされることに、詩人の心は向かっている。同じように、今日も、主に対する信仰を持って歩ませていただこう。

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